まあ、じゃあそういうことにして「本論」
で提示された3点で焦点が当たった部分は何処にあるのかというと、
               何処?
何とか辻褄合わせをするとすれば、1 については、
   「(前略)その富貴堂の試聴室で『スペイン音楽集』を聴いたところが、
    これがどうして評判が悪いのか、絶品ではないかということで、驚いて
    しまいましてねえ」
という伊福部氏本人の述懐がそれらしい気もする。でも2と3の「焦点」を論じ
た部分はないよ。何度読んでも。なので後段で
   どうしても(私高本か 川上敦子が)補足しなければ、伊福部昭「日本
   組曲」が誤解を受ける点があることに気付いた。
とあるその「誤解」の意味が分からない。どういう「結論提示」についてどう
いう「誤解」を受けるのかしら?どうやらその後の記述にヒントがあるらしい。
ということは、
レコーディングまでには至らなかったらしいこと
(レコーディングに至ったと思われてしまう「誤解」)
ピアニスティックな曲であること
(ピアニスティックではないと思われてしまう「誤解」)
その全てを「聴衆の皆様」に聴かせたこと
(その全てを聴かせてはいないと思われてしまう「誤解」)