要するに吉田は、イタリアの独裁政治時代における体制迎合音楽家と反体制
音楽家とドイツと同次元で区別し、トスカニーニのナチ・ムッソリーニ嫌いを
例に挙げ戦後、トスカニーニがスカラ座にカムバックした際の演出家や歌手の
起用にあたり、大きくこの要件が影響したのではないかという「思いつき
とも言える」自説を展開している。思いつきと言える根拠は、吉田が今まで
得た情報のみがその仮説の根拠としているのだ。全文を読んで頂けると
分かると思うが、この人の文章には、今回もセラフィンと言う演奏家も
重要な問題提起としておきながら、「セラフィンのことは知らないが・・・」
ととぼけて見せたり、「ミラノとローマでは、政治的風土は必ずしも同じでは
ない『かもしれない』のだ。」と結んでいるなど、クラシック業界の重鎮で
あるにしては文章の趣旨はキワモノとさえ言えるレベルなのである。