カザルスやフィッシャーを中庸の解釈と書いたつもりはないですよ。>457
ああいう古典は弁証法的に聞く以上、避けられないテーゼでしょう。
最近の演奏家でも中庸の解釈ならばオーソドックスと言ってもいいという意味で、「オーソドックス」の定義について書いてみただけです。
それに私の447とアーティキュレーションを楽譜で確認することに、
何の関係が?
蘊蓄を披露したいなら私にかこつけなくてもいいと思うのですが。
で、突っ込み所って>448
>458のあぜんとするような極論とともに、夏厨の季節ってとこでしょうか。