想像だが、
マーラーの場合は、外から与えられる教義より、
先に、自分の心の内に彼固有の、
宗教的直観か宗教的ファンタジーがあったのでないかという気がする。
それら書簡の内容からいってもね。
そしてその直観に合うような教義を、ユダヤ、キリスト、オカルトなど、
いろんなところに探し求めていたんでないだろうか。
でも結局、どこに属するというよりは、
自分の心の直観やファンタジーに回帰する。
それを捨てることは、自分の心を捨てることになるから。
しかし同時に、宗教的「権威」「集団」の後楯が得られないために、
誰にも理解されずに孤独なまま彷徨うことも意味する。