NHK日木流奈くんドキュメンタリーの問題が想起される。
あの番組を批判する側によれば、障害のリハビリに1日の
多くの時間を割かれている流奈くんが、あの年齢に至るまでの間、
番組が報じるように、大量の書籍、しかも大学院生が読むにも
生易しいものではないものが多数含まれているものを、
読破するというのは現実的に考えて不可能なものであり、
もしも、流奈くんの天才的能力が、彼の親による誇張であるとしたら、
それは却って障害者である流奈くんへの人権侵害につながるということだ。
言葉で自己を表現することが困難な障害児自身の意志を無視して、
親が親の子可愛さあまりに子の才能を誇張して広めるということは、
却って障害児への人権侵害になるということである。これは正論では
なかろうか。
流奈くん自身は、自分が「奇蹟の詩人」であるという自覚を持っているのだろうか。
光くん自身は、自分が「独立した作曲家」だという自覚を持っているのだろうか。
親の過剰な思い込みを投影された子は、却って不幸なのではあるまいか?
そして障害児は、その不幸を自覚する事もできないしかもしれないし、
もちろん訴えることもできない。
日木流奈くんの問題と、大江光くんへの評価の問題を、比較しながら、
障害児の人権を深く考えなければならないような気がした。
もちろん、障害児の才能を引き出すこと自体には全く反対するものではないが、
その才能を誇張することは果たして障害児の本当の幸福につながるものなのかどうか。