中学生の頃初めてレコ芸を手に取る。評論家が演奏にあれやこれや蘊蓄を傾ける
文章に、「早く俺も違いのわかる男にならねば」硬く決意する。
高校生、レコ芸評論家、特に志鳥氏の定型論評、藤田氏の循環論評等に違和感を
感じ始め、宇野氏の独断論評に怒り、諸石氏の優しい論評に好感を持ちはじめる。
大学生2年、諸石氏が何でも誉めるため面白みをなくす。このころ許氏らの一連の
反レコ芸評論に激しい好感をもつ。大学4年、所詮許氏らも意味ありげな短文の名
手に過ぎぬ感を持ち始め、音楽評論自体に期待を抱かなくなる。むしろ、在野の俵
孝太郎氏のVOX、ナクソス礼賛に好感をもつ。現在、日本では音楽評論自体が
成立していないという確固たる意識を持つに至り、2チャンネルの無法評論に刺激
を受ける。  ああ、自堕落