「新潮45」の小澤問題

 小シ尺を血祭りに上げてみましょう。いや、すでに上がっているわけだが、それについて別の見方をしてみようという企みです。

 「なぜ、小シ尺がウィーン国立オペラの音楽監督に指名されたか」がまことにわかり易く解説されている。
 今回の人事は、芸術云々とは関係ない完全なショービジネスの世界の話であるといっているのだ。(もちろん小シ尺の芸術的能力が低いことは、重ねて語られているが。)
 コロンビアアーティスツという組織が、ウィーン国立オペラの収益改善のために利用しやすそうな人事をしただけのことだというわけだ。どこかの会社のやることと同じことだ。
 これでウィーン国立オペラに物好きな日本人が集まり、スポンサーが付き、劇場やホテルや航空会社がもうかり、観光地に金が落ちればそれでいいと考えているのだ。
 日本人の指揮者や聴衆がいくら来ようが逆に来るまいが、ウィーンの芸術の基盤は一向に揺らぐことはないという確固たる裏づけがあっての企てだろう。

 VPO(国立歌劇場O)にしても、指揮者なんて誰でもいいんだろう。鬼(あるいは神)のようなコンマスがいれば、指揮台に誰が立っていようと、あるいは立っていまいと関係ないのだ。
そんなことでは微動だにしない彼らだけの伝統があるのだ。(ドレスデンの、某オケも同じらしい・・・)

 決して芸術的全権をこの指揮者に預けたわけではない。ただのあやつり人形だ。小シ尺の芸術的、音楽的才能や実績とは何の関係もないと言っているのだ。
 小シ尺も可愛そうである。それに利用されただけで、最後は笑い者になって捨てられる運命にあるのだろう。いま消えつつある準一流の指揮者のように。