>>396さん、>>398さんの論点に触れてちょっと言いたいのだが、

49年 22:14、9:29、3:11、6:42 モスクワ 個人テープ
57年 23:20、9:22、3:34、7:18 モスクワ Preizer
64年 25:20、10:05、3:35、7:15 オールドバラ Music & Art
72年 25:44、9:53、3:34、7:40 プラハ Praga
72年 24:32、10:03、3:52、7:55 スタジオ(ザルツブルグ) JVC

リヒテルのシューベルトの21番の演奏の比較をしてみる。それぞれ
第一、二、三、四楽章の演奏時間を書いてみた。49年の演奏は友人の
コレクターに頼んで聴かせてもらったものだ。そのうちイエダン辺りから
出るだろう。これを見るとリヒテルの演奏は、49年も72年もそんなに
変わっていないように見える。第一楽章の22分14秒と24分32秒の
違いは10%以下だ。実際聴いた感じでも49年と72年の第一楽章の違い
ははっきり分からないほどだ。三楽章と四楽章の違いははっきりと分
かる。49年の演奏はよりはつらつと弾いている。しかしながら、49年
の時点でもう既にこのソナタの大きな解釈の流れは決まっていたと言える
だろう。グールドが聴いた頃の57年の演奏も72年のスタジオ録音とほぼ
同じと言って良い。64年でも72年のライブと同じように第一楽章はさら
にゆっくり弾いていることも分かる。

おれがいいたいのはことはこういうことだ。シューベルトの21番に関する
限りこれらの演奏には解釈上の違いは見られないと言うこと。70年の時点
でリヒテルは既に60年代のリヒテルとまったく異なる演奏をするように
なったというのもそれほど当たっていないのではということ。中村紘子が
64年頃のリヒテルを絶賛し70年のリヒテルをこき下ろす事も、提示され
た音楽そのものよりも、その他の要素(年齢、その後の楽譜を見る見ない
など)によってそう判断していることもままあるのではないかと思うのだ。
それを一番嫌ったのがリヒテル本人であり、後に小さな明かり一つで演奏
するようになったのも、リヒテル自身が、お前らもっと提示される音楽
だけを鑑賞しろよと彼は言いたかったのだとおれは思っている。