ANTON BRUCKNER
  Born: Sept. 4, 1824
  Died: Oct. 11, 1896
  Nationality: Austrian

幼くして父親をなくしたため、子供時代から聖フローリアン教会で育ち、修道士達から音楽を習ったので、
オルガン音楽の心得は非常に早かった。成人してからもこの教会でオルガニストとして働いたが、
オーケストラ音楽への憧憬が断ち切れず、仕事を辞した。
1865年、ミュンヘンで聴いた「トリスタンとイゾルデ」に大きな感銘を受け、
職業としての作曲家を志すようになった。40歳を過ぎてからであった。
その代表作である交響曲には、決して派手さはないが、ほとんどが長大で、その分厚い重厚な響き、
対位法や構築の堅実さには、敬虔なカトリックであったこと、教会音楽家としての下積みが長かったこと、
そして子供のように純真で素朴な性格であったことなどがにじみ出ている。
しかし、そのような交響曲も当時はなかなか真価が認められず、
さらには、ワーグナー派として扱われる都合上、ブラームス派のハンスリックなどから執拗な攻撃を受けた。
演奏会を開くことさえ困難なこともあったという。ようやく認められたのは後期の交響曲第7番以降であった。
既に60歳になっていた。しかし、マーラーに代表される後の作曲家には大いに尊敬され、大きい影響を与えた。
ウィーンで行われた彼の葬儀にはブラームス本人が隠れて涙していたというエピソードも残っている。