このくすぶり続ける火に、油を注ぐ結果となったのが、U氏の暴力事件である。
 真相は不明だが、聞いたところによれば、ある日、関西ピアノ界の大御所的存在の先生が、自分の弟子のレッスンをU氏に
頼んだ。ところがU氏は、演奏を聞いてみると、自分の音楽とあまりにかけ離れていて、レッスンする気にもならず、癇癪を
おこして帰ろうとした。その時、止めようとした先生を、U氏が突きとばしたというのである。
 突きとばされた先生は、翌日学校で、仲間の先生達にすぐに報告した。もともとそういう話は広がりやすいものだから、そ
の日のうちに、関西のすべての音大生に、ビエールフィルからエキストラの依頼があっても行かないように、という指令が飛
んだのである。
 困ったのは、ビエールフィルの各パートの責任者である。彼らは演奏日程が決まると、ひと月以上も前から、すべての演奏
会に必要なエキストラを集めるために、毎晩、電話の前に釘づけになっている。それが急に、どこに電話をしても、断られる
ようになったのである。
 その原因がU氏の暴力事件にあると知った時、彼らの怒りは頂点に達した。オーケストラ内の混乱は、収拾のつかないもの
となり、もはや音楽のできる状態ではなくなった。
 数年前からオーケストラの経営をまかされ、事実上のオーナーであったO氏は、この状態を見かね、思いきってU氏に辞任
を促したのである。
 まもなくU氏は、個人所有で、ビエールフィルのレパートリーの大半を占めていた、楽譜類をすべてまとめて、東京に帰っ
ていった。昭和五十六年の終わり頃である