時代と共にクラシック音楽を取巻く環境も刻々と変化している。
カラヤンが次々に録音をリリースした60〜70年代にはいったい何組のベト全があったのだろうか。
当時、人々が注目したステレオ録音に限ったら、数えるほどでしかないはずだ。
つまり、未開拓のマーケットがそこにはあった。

しかし、2005年を迎えようとする現在、ベト全を5組、10組持っているクラヲタも珍しくはない。
また、ピリオド系演奏の出現以降、聴衆の好みの多様化も一段と加速し、商品としてのクラシック音楽録音にはあまり商業的メリットがなくなっている。

一方、若い世代の演奏能力は世界記録が更新されていくがごとく、確実に上昇している。
技術的なことだけを問えば、過去の名手程度に弾ける若者は少なくない。

指揮者と楽団員の関係も著しく変化した。
かつて指揮者は独裁者であり得たが、現在では、パートナーであり、音楽的指導者、相談役、そして人気確保広報部長の役割を担わなくてはならない。

そうした時代の変化に柔軟に対応する賢さがノリントンにはあるのだと思う。
優秀な若手を集め、音楽的ポリシーを共有しつつそれぞれが内側から音楽を作り出す集団だと思う。
配置にしても恣意的というよりは、音楽を表現する上での必然から生れているように思う。
おそらく地元の定演では、「今度の曲はどんな配置になっているのだろう」なんてことが話題になっているのかもしれない。
そして、話題になること自体が現在のクラシック音楽にとっては大切なことの一つだ。

ノリントンは現在を見据え自由に考えている、それが音楽にも感じられるし、そこに私は魅力を感じる。
頭の古い奴は好みじゃない。

また来てくれたら嬉しいけれど、昨日のピアニストは真面目だがファンタジーに乏しく、もう一度は聴きたくない。