フルニエ/セルのドヴォコンを私がはじめてきいたときは
「ずいぶん硬い演奏だな」と必ずしも好印象でなかったのですが、
どうしてどうして、その後この曲を根本的に見直す羽目になりました。
それまでこの曲の演奏は芝居の大見得の切り具合を楽しんでいたのですが
それが間違いに思えてきますね。
見得なんざ切らんでも底光りのしている清冽な音楽がそこにありました。
冷たくとても清らかな水を口に含んではっとするような思いで目を瞠ります。

セルの指揮に関してカザルス盤を引き合いに出すのはどうでしょうねえ。
漠然とした印象ですし推測の域を出ませんけれど
戦前後でずいぶんセルも変わったような気がします。
戦前のはフーベルマンの伴奏などできいただけの印象ですが。