帰ってきたルドルフ・ケンペ
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0030名無しの笛の踊り
03/04/29 02:36ID:???>>29さんの疑問について、私なりに頭をひねって書き込んでみました。
確かに彼の影響はありそうですね。BBC響やロイヤル・フィル、ミュンヘン・フィルなどの
音楽監督や首席客演指揮者として活動を始めてからは、2大都市での録音は聞かれませんしね。
東側のドレスデン・シュターツカペレとはR.シュトラウスの全集を残していることから考えても
彼の影響を受けにくいイギリスや南ドイツ、スイスでの活動の方がやり易かったのでしょう。
50年代後半から1967年(フィルハーモニーの完成、復活祭音楽祭の創設)位までは、カラヤン
にとっての基礎がための時間だったと考えれば、その間に、ケンペがBPOと共にブラームスや
チャイコフスキーの交響曲を録音していたのだと思います。EMIには、既にフィルハーモニアの録音で、
これらの音源がありましたが、ステレオ録音への移行でソフトが足りなくなったというメーカー事情も
考えられます。多額の時間と費用がかかるオペラ録音ができたのも同じ事情では?と思います。
クレンペラーの場合、カラヤン移住後のフィルハーモニアのシェフになった後、レッゲによって
潰されかけた楽団を再建するという仕事が、結果的に彼の最後の使命になったんでしょうね。
こうしてみると、カラヤンが他の指揮者に与えた影響は、良くも悪くも大きいですね。(w)
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