クラウス・テンシュテット (Klaus Tennstedt, 1926年6月6日 - 1998年01月11日) は、ドイツ人の指揮者である。
彼は旧東独に属するメルセブルク(ライプツィヒとハレの中間に位置する)で生まれる。
ヴァイオリニストを父に持ち、ライプツィヒ音楽院に学び、ヴァイオリニストを目指す。
卒業後、ハレ歌劇場のコンサートマスターとなるが、指の骨瘤(こつりゅう、外骨症)のために、
ヴァイオリニストの道を閉ざされ、指揮者へと転進する。
以後、ラーデボイル、シュベリン歌劇場の音楽監督を歴任。
軍事独裁を風刺、東独で上演禁止になったデッサウの「ルークルスの訊問」なども手がける。
しかし、しだいに、旧東独での音楽活動に限界を感じ、1971年に西側に亡命。キール歌劇場の音楽監督となる。
彼の情熱的かつ個性的な音楽は、1974年のボストン交響楽団への客演を期に、やがて世界の知る所となった。
1979年には北ドイツ放送交響楽団、1983年にはロンドン・フィルハーモニーの音楽監督となる。
ロンドンフィルとは相思相愛の蜜月関係を築き、某楽員から「我々はクラウスのためなら120%の力を出し切る」、
「彼の音楽上のロジックはクレンペラー以来最も深いものであろう」(タイム)
「テンシュテットなきロンドンフィルはミック・ジャガーのいないローリング・ストーンズのようだ」(ガーディアン)
などの言葉からも彼らの関係が窺い知れよう。

彼のレパートリーは多岐にわたるが、特にマーラーの解釈には定評があり、1979年には国際マーラー協会からメダルを授与される。
以後世界各地に客演して名演奏を聞かせたが、1985年に喉頭がんを発病。闘病生活を送りながら、演奏活動を続けたが、1998年に死去。
世界を舞台として活躍した年数も短く、その真価も定まらぬままの早世であった。
同年代の指揮者に比べると、レコーディングの数は少ない方であったが、近年BBC等の放送音源のCD等により、再び評価を得はじめている。

初来日は1984年、その後1988年にも来日している。