>>292
すぐに選民思想だと言ってしまうのは少し早計だと思うよ。

例えば武士道にしても、研究によって、それがどのようなものであったかを知ることは
できるかもしれない。
だけど、本当に自分のものとして武士道を体得するには、武士の子として生まれて、
厳しい躾を受けて、おじいちゃんは名誉の戦死をしていたりして、
普段からそういう話を聞かされて同じ価値観を共有していなければ無理だと思う。
そうじゃなきゃ、主君が死んだからって実際に追い腹なんか切れないよね。
いくら想像力を駆使して共感しようとしたって、共同体外部の人間には
追い腹は理解できないと思う。

マタイ受難曲の場合もそうで、クリスチャンであれば、イエスが十字架に架かる場面を
演奏者とともに体験することを通して、自分自身の救いを確信することができる。

2000年も前にユダヤの1人の男が冤罪で死刑になることによって、
なぜ、21世紀の日本に生きてる自分が救われるのか?
理屈で考えたら絶対おかしいよね。論理的整合性なんかないし、
そんなことあり得ないというのが常識的な反応だと思う。
だけど、信仰によってそれは事実となる。
あなたには理解できますか?
そして「理解」というのは想像力によって、「そう信じるヤツもいるだろうなあ」なんて
漠然と考えることとは違う。
自分自身の現実の問題としてそれを引き受け、イエスの十字架によって救われた者として
そのように話し、行動し、生き方を変えること。

ここに芸術と宗教の境目があるのだと思う。