ヴェデルニコフとリヒテルのバッハは良いよ。
どっちがヴェデルニコフかはよく解らないが、
安定したリズムに音色の多様性と不自然でないくっきりと明瞭な
音の響きによる雰囲気の変化には感銘を受けた。
多種多様な音の層が妥当に重なったバッハであった。
特別な表現をしている訳では勿論無い。それが彼らの特徴でもある。
リヒテル曰く楽譜に書いてある事を忠実に弾いているだけだ、
という姿勢も彼が演奏に関して楽譜から自ら得る感性にのみ頼っている
という確固たる信念の現れなのだ。
天才の感性は言葉では難しい。リヒテルも楽譜に忠実に、という事以外は
説明の仕様が無い事を十分に理解していたと思われる。
当たり前だが、何か特別な事をしようという方向に意識を注ぎすぎる
ピアニストは現代でも蔓延っている。それは意図的すぎて自然的美学から
かけ離れたモノとなり不確定性への期待、音の綺麗な曲線形変化、揺れ動く情感
といった自然的音響の味わいから遠ざかった非人間的で人工的な都会のビルや
完璧なシンメトリーを保った建造物の様な風情の無い概観という惨憺たる様。
結局現代の演奏家に期待できる人は少ないという複雑な状態。