世の中で、最も恐ろしいこと。
それは、狂信である。
いぶし銀とパウエル愛好家(改め狂信者)は、抽象論でしか物事を語れない。
具体性、つまり、リアリズムというものがない。欠落している。
他人を誹謗・中傷するのならば、それもまた、エヴィデンスに基づくものでなければ
説得力はない。
デューク東郷を批判するのならば、「エヴィデンス」がなければ意味をなさない。
デューク東郷に教養がないと言うのならば、具体性を持ったものでなければならない。
それさえもできぬ、「パウエル狂信者」に、他人を批判する権利はないし、僭越という
ことが言えよう。
論議とは、そもそも何だ?「パウエル狂信者」よ。
それをきっちりと規定出来ない香具師には、それこそ音楽を語る資格はない。
ましてや、ベルリンフィルを何回、ウィーンフィルを何回なぞと、自己のむなしき
体験を持って他人に反駁しようとする、いぶし銀という哀れな人は、もはや論外。
最後に、「パウエル狂信者」に一言いっておく。
将棋とは、勝つものではない。相手に、「投了」する覚悟を持ってもらうものだ。
だから、棋士はお互いを尊敬し、投了後に、「本音」を語りあいながら、感想戦をする。
そこには、「美学」がある。
話がそれたが、狂信者はいずれ破綻するものだ。リンクスを本当に好きなら、
批判が出るのではないのか?金科玉条の如く、律子を賛美することは、誠に
見苦しく、そして哀れなものだ。律子自身、それは望んではいないのでは?
それで舞い上がるようなら、ただの「笛吹き」だ。ではさらば、さらば。愚者達よ。