差っていうけど、1974年の時点でボストン響監督の地位を手中に収めていた小澤とは
未来の差は見えていたんじゃないの。
ウィーン定期はあくまでも棚ボタ代演だったんでしょ。
本当に多忙だったら、あれだけのエッセーなんか書いてらんないよ