高本さんよ。
あのさ、はっきり言っていい?
昨日付の更新分、 今 ま で で 一 番 イ タ イ よ 。
モーツァルトの「光と影」を表現する手段にデュナーミクとテンポを挙げているんじゃ、
あんたは評論家どころか素人の愛好家にすらなれないぞ。
リストならまだしも、モーツァルトだよ、モーツァルト。
  タ ッ チ や 音 色 の 微 妙 な コ ン ト ロ ー ル 
なしには表現できない音楽でしょうが。
感性を磨き上げ、自分の出す音をとにかくよく聴いて、本当の意味でのテクニックを
身に付けない限り、モーツァルトで聴く者を感動させることは難しい。
それが「モーツァルトは子供には易しく、大人には難しい」と言われるゆえんだ。
音に対する明確なイメージを持って演奏しているかどうかが否応なしに丸裸にされるから、
モーツァルトは恐ろしいんだよ。デュナーミクやテンポで語れる問題じゃない。
今回の「作曲家論」とやらは、訳も解らず大袈裟な音楽を好むというあんたの嗜好が丸出し。
それを得意げに御託並べて評論家面して書いているところがもうイタすぎて見てられない。

で、川上女史はこの妙ちくりんな高本理論に沿った形で演奏するつもりなのか?
むやみにsubito fやsubito pを多用して、むやみに緩急の差をつけて、
音色は不問でペダルは使わずに演奏するつもり? ただの打楽器だろ、それじゃ。
ピアノは機能的には打楽器だが、打楽器であることを意識させてはいけない楽器じゃないか。
(あんたがお嫌いな「ゲンダイオンガク」にはそういう曲もあるけどね)
はっきり言っておくが、あんたのカンチガイ理論の通りに川上女史が演奏したら、
彼女はもう、まともなマネージメントと組む機会はないだろうよ。
彼女と一蓮托生でやっていくつもりなら、何も言うことはないがね。