☆テレマン☆
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0092休廷楽長
03/03/19 02:19ID:???>→バッハのみが難解な音楽を書く人間と決めつける
>の部分、論理が破綻していまつ
事実バッハのみが難解な音楽を書いたとする人が居るのだからそれを否定しているのだが?
>>86
>ただプロテスタント音楽の重要なポストがあった位で宗教都市とみなすのはおかしい
では、訂正しましょう。“宗教改革後ルター派の要塞”ではいかが?
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テレマンならバッハの時のようなもめ事を起こさずうまくやると言う意見も多数ありました、
その理由として、バッハが融通が効かない頑固者でテレマンは社交性があるから、
という風に性格の違いを理由に上げていたようですが、そもそもどうしてテレマンが
ライプツィヒの招聘を断わりもせずに受けたか考える必要があります。
バッハがライプツィヒで直面したようにテレマンもハンブルクで教会のカントルが市の音楽監督
を兼ねるのはおかしい、カントルは世俗の音楽に関わるなと言う非難をハンブルクで受けており、
それをかわす為にライプツィヒのカントル試験を受けたのです。試験に合格した後、テレマンは
ハンブルク市に辞表を提出しました。ハンブルク市は慌てて、引き止めにかかり、テレマンは
ここぞとばかりに俸給の増額を要求し、ハンブルクが認めたのでライプツィヒのトマスカントル
の職を蹴ったのです。この騒動のお蔭でテレマンを非難する声も影を潜め、テレマンには住み
心地の良い環境となった事は明らかです。この後、死ぬまでバッハのように転職しようとする事
なくハンブルク市音楽監督で居ました。ちなみにハンブルク市音楽監督とカントルが分離したの
はエマヌエル・バッハが死去した直後です。
ところで、もし、ハンブルクがテレマンの俸給の増額を認めなかったらどうだったかそれは
なんとも言い様がありませんが、(また長くなる)テレマンは黙っていても勧誘される著名人で
したからすぐに条件の良い所へ移ったと思います。そこがバッハと違う所であったと思います。
バッハがテレマンの真似をすればたちまち路頭をさまよう事となります。次の職が見つからない
限りそこにしがみつかなければならなかったのです。
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