>>57
>・テレマンが存命中、エマヌエルを後継者に指名していたことは事実だが、
>  市当局の選考の手続きがあったのも事実。単に前任者が指名しただけで
>  先進的な都市の音楽監督になれるわけがない
市当局もテレマンの指名を認めていたわけであるし、実際テレマンが死去してしばらく、
孫のG.M.テレマンが職務を代行している間にエマヌエルの元にひっきりなしに早くハンブルク
へ赴任するように手紙を出しまくっている。

> ・フリーデマンを悪く言うのはやめれ(w『貧すれば貪する』ものだ
>  ゲック本でも父の作品について言われているほど悪く扱ってはいないとある
>  天才肌である彼の作品が、悪名のため過小評価されているのもまた事実
私はフリーデマンの作品は大好きです。2楽章しかないd-mollのシンフォニアが特に好きです。
しかし、父の作品に勝手にペットのパートを書き加えたり、既に述べたように父の音楽に
依頼された歌詞をくっつけて自作として公表した事例があるのですから悪く扱っているのは
否定しようがない。

> ・父バッハは頑固者だし、テレマンが社交家で人あたり良かったのは事実
>  フリーデマンが傍若無人で、エマヌエルが文化人で経済人だったことも事実
>  父バッハがハンブルクやドレスデンでポストを得たとしてもトラブルメーカー
>  だっただろうし、テレマンやエマヌエルがトーマスカントルになっていたら
>  社交術や改革路線でそれなりにうまくやっていたはず。
ハンブルクに赴任するに当たり、フリードリヒ大王の慰留に耳も貸さずに頑迷に抵抗した辺りは
父バッハがケーテン宮廷楽長に赴任する際にヴァイマル侯に見せた頑迷な抵抗に似て、
父バッハのみを頑固者呼ばわりするのは間違っている。
テレマンがトマスカントルに赴任していたとしてもライプツィヒの正統派と敬虔派の抗争と
啓蒙主義の対立はいかに天真爛漫で計算高いテレマンでも如何ともしようがなかったのでは
ないかと思ってしまうのであります。でもバッハがシャイベから喰らったような批判は
テレマンは浴びなかったかもしれない。