>>49休廷楽長殿
>バッハがケーテン宮廷楽長時代にハンブルクに就職しかけて
>成功していたら、あるいはテレマンがライプツィヒ音楽監督
>に就任していたらテレマンとバッハの評価は正反対であった
>と思われる。
確か、トーマスカントルの選考のときだか覚えがないが、
第一候補はテレマンで、「第一の者が得られないなら、それ
以下の者で我慢するしかない」と言ってバッハが採用された
のでは?両者が本格的な活躍場所を決める前に、既に当時の
評価は固まっていたと思われるが、いかに。