☆テレマン☆
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0049休廷楽長
03/03/17 02:25ID:???>→音楽の才能がなかった、もしくは時流を読んだ
その辺はわからない。だが孫のゲオルク・ミヒャエル・テレマンは音楽家になった。
>バッハの息子達は今なお著名な音楽家達になった
>→エマヌエルはテレマンを真似て、出版事業成功させた
エマヌエルは別にテレマンの真似はしていないし、出版事業に精を出して成功させたなんて
史実はない。君の脳内妄想だ。エマヌエルは父バッハの存命中からフリードリヒ大王の宮廷で
チェンバリストを務め、テレマンの死後跡を継いだのはテレマンが存命中から自分の後継者に
指名していただけの事。
>一方、フリーデマンは父以上にマニエリスティックな
>作品を出版し、売れなかった…
フリーデマンはものぐさで手抜きばかりしていた上に凶暴な性格の持ち主であった事が
災いした。父バッハの生存中、既に父バッハの作品を盗作し、違う歌詞を張り付けたものを自作
として公開した犯歴がある。
>商売の上手下手でなくやはり作品の内容だろう
かなり穿ったモノの見方ですな。バッハがケーテン宮廷楽長時代にハンブルクに就職しかけて
成功していたら、あるいはテレマンがライプツィヒ音楽監督に就任していたらテレマンと
バッハの評価は正反対であったと思われる。というのは、ハンザ同盟第ニの都市として繁栄を
続けていたハンブルクは当時アメリカ貿易で利潤を上げ、ハンブルク市民は進取の気性に
富んでいた。バッハはライプツィヒのコレギウム・ムジクムの活動期の作品を見ても
テレマンにひけを取らぬ作品がとても多い。ハンブルクでは大成功したであろう。
かたやライプツィヒは宗教都市、隣の選挙侯(選帝侯)国ザクセン大公国の強力な影響下に
あった。バッハの存命中にもザクセンの戦争の余波の為にライプツィヒが包囲されたり、
思想的にも新しい時代の啓蒙主義が古い思想に基づくカントル制度を脅かしてバッハの職場上の
やり取りに於いて職場放棄しかけるほど強いストレスを与えていた。もし、テレマンがライプツィヒに来ていたら、そして他への転職が全て失敗していたらいかにテレマンと言えども
現在のバッハのような作品を書きまくってバッハ同様65歳くらいで脳卒中で死去しただろう。
(テレマンは86歳で死去)
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