>>148
團伊玖磨の天理教の曲や、芥川也寸志の本門佛立宗の曲は
機会があるごとに再演されている。

黛敏郎だけが再演されないのは、その音楽が大音量で前衛的な音響を
撒き散らしたりする、そんな作風も理由に挙げられるように思う。
つまり、あまりにも異端な音楽なのだ。

ヤヴァイ世界に親和性を持っていた黛音楽がこういう宗教の為の曲と
マッチしないわけがない。
宗教にピッタリではあるが、メシアンの曲と同じで電波ゆんゆんの
ヤヴァさを聴く者に抱かせかねない。

けれども、その音楽に惚れてしまった者には例えようのない快楽をもたらす。

そんな複雑な事情があるのではないかなあ。
個人的には再演は無くても良いからCD化してほしいものだ。