「クラシックジャーナル」001号で、石原俊さんがCD「セゴビアの芸術」(DG)評として
こんなこと書いてました。

このフレッシュな感触は、当時としては類希なセゴビアの音程コントロールによるもので
あろう。ソルの《「魔笛」の主題による変奏曲》における確信にみちたアゴーギクや
メロディと伴奏の表情の違いなどは、この良好な音程があったればこそ成立するものだ。
また20世紀音楽でも和音がまったく濁らないのは戦慄すら覚えた。(p.141)

フレット楽器といえども左手の押さえ方、引っ張り方などで音程が違ってくるのは
素人でも見当がつきますが、神様セゴビアでもそんなに厳密にコントロールしていたんで
しょうか。ギター教育のなかでは、音程の取り方はメソッドとして確立されているんで
しょうか?