>>808

存じておりましたが、何か?
そりゃ高音と低音で音色が変わり、響きの質が一定せず、アジリタは確かに巧みでは
あるけれど元の声質が重いが故にレガートがスリリングになりがち…こういった声質の
歌手を‘ベルカント唱法を体得した歌手’とは言わない事は、ある程度カラスを真面目に
聴いている人なら誰でも認識している事で、今更鬼の首をとったようにあげつらう事じゃ
ないと思ってるんですけどねえ…。そういったヴェリズモ(ないしカルーソーの唱法革命)
の波に洗われた以降の(現代的な…最も今はこれでさえ変化がみられていて、特定は
できないが)ベルカントといえば、ソプラノではそれこそテバルディが最初の人物…と
言えるんでしょうね(勿論完全とは言えませんが)。
でもまあこういった‘ベルカント’を引き合いに出してそれにそってカラスを評価するのは、
馬鹿げているとまでは言わないものの少々お門違いに感じるのもまた然りな訳ですし。
↑であげたベルカント的な欠点がそのままカラスの歌の武器として通用した訳ですから。
俗に言う‘カラスの3つの声(鋭く切り裂くような高音、暗く格調高い中音、ドスの利いた低音)’
は演じる役の多面性を膨らませるのに一役買ったし、綱渡りの如くスリリングなレガートに
よって紡がれるコロラトゥーラのパッセージは、ポンスやダル・モンテといった先達が同じ歌で
与えた高揚感と多幸感を、そのまま劇的緊張に置き換えさせてそういった種類の作品の
表現に新たなアプローチを示させた訳ですし。カラスはベルカントではないけれども、
ベルカントでないが故にああいった超人的な歌唱表現を実現せしめた…そう考えるのが
カラス評価の常道だと思うんですがねえ…。