ありゃ、間違ってageちゃったわ。

>>200さん
登山、なかなか踏み出せない状態でゴメンなさいね。
というか、「この山に登る!」以前の、準備段階での疑問が
またぞろ出来してきちゃってるのよ。

って、比喩ばかりでも何なので・・・

バーンスタインの《悲愴》の演奏にまつわるアタシのカキコ、例えば
>>139「>アタシがそのとき感じとった(ような気がした)様々な
感情や意味」とか>>151「>《悲愴》の冒頭に「苦悩」(「絶望」の
ほうが適切?)の呻きを聴いた場合」とかに関して、「アタシは
本当にそんな風に聴いているのだろうか」という根本的な懐疑が
生じてきちゃってるのよ。せいぜい>>127の「>それこそ自分が
その音楽の中で生きているかのような」くらいが、あのときの
実感として正しい記述なんじゃないかと、その後、思えてきてるのよ。

言ってみれば、アタシ、「自分は音楽をどう聴いているのか」すら
明確に語り得ない状態にあるのね。
・・・「聴取ルート」からの登攀は、お先真っ暗よw

そんなアタシなので?、>>200の最後三行は、何が何だかさっぱり
分からないわ。(←200さんを煽ってるんじゃなくて、専らアタシ側の
キャパシティの問題のことよw)