アタシが>>123を書いたのは、>>119で触れた、バーンスタインの
《悲愴》を聴いたことがきっかけになっているのね。あの演奏で、
アタシはそれこそ自分がその音楽の中で生きているかのような
一体感を感じた(第2、第3楽章を除くw)し、彼(チャイコフスキーなのか
バーンスタインなのか、バーンスタインが見たチャイコフスキーなのか、
それは不問に付してね)と共に呼吸し、彼の感じていることが
手に取るように分かる気がした。

で、聴き終わってからふと、アタシがこの曲のこの演奏をこんな風に
感じちゃうのには、自分がゲイであることも関係しているのかしら、
ノンケの人はこの演奏をどう聴くのだろうか、他のゲイの人なら
どうだろうか、などということを思っちゃったりしたわけね。

そこで止めておけばまだしも、勝手に暴走して、さらに
「同性愛者ならではの感覚」のようなものが一般に認められるのか、
単なる「同性が好き」という事実からどうしてそのような感覚・傾向が
生じ得るのか(先に書いた「回路」の正体やいかに、ってことね)、
なあんていうことが脈絡もなくワラワラと気になり始めちゃったのよ。

これを再び>>124の表現を借りて展開するなら、
「愛や性のあり方は、どのように精神に影響するのか」あるいは
「愛や性のあり方は、精神になにがしかの傾向を生じせしめるか」、
そしてさらに「そのような精神がどのように音楽に反映されるのか」(!)
とでもいうようなことになるのかしら。


・・・こう書いてみて、今、我ながら呆れているわ。
何だか徒に大げさに(しかも大雑把に)あれこれ言ってみてるだけよね。
「ゴチャゴチャ言っとらんと、ただ無心に聴くべし!」って気もしてくるわ。
とりあえずここで止めておくわね。スレ汚し、ゴメンなさい。