作曲者の“指定”という表現がそもそも適してなかった。
譜面上のあらゆることは、演奏者に対する注文や指示というよりも
作曲者の“作品の一部を成すもの”だと考えた方が正しいと思う。
つまりたとえば、「ここでクレシェンド“しなさい”」
ではなく「ここでクレシェンド“する”」。
「ここまでを繰り返し“なさい”」ではなく、「ここまでを繰り返“す”」。
それら多くの「〜する」が集まってそれがその「作品」。
その作品をどう扱うかについては確かに決まりなどないし自由でしょう。
しかしそもそもの「作品」の姿を忘れるべきではないと思う。