巨匠不在の時代、という話があったと思うけど、私なりに考えている
理由がある。

私自身、べトのソナタを弾くんだが(ハンマークラビアのような難曲は
到底無理!)、たとえば、あるソナタの第1楽章はグルダの軽快な
フレージングで、第2楽章はソロモンの叙情性たっぷりの歌いっぷりで、
という風に「ベストミックス」の演奏を自分なりに組み立ててみたりする。

しかし、もしも私が腕前の立つ名人級のピアニストだったとしても、
この「ベストミックス」は歴史には残らないだろうと思う。確かに、元の
演奏のいいとこどりという意味で「ベスト」なんだろうけど、何て言うか、
模倣から一歩も出ないんだよね。前のレスで私が「オーソドックス」と
書いたのは、そういうイメージ。過去の解釈を元にして最適の演奏を
求めると、模倣の集まりのようなものになる。もちろん、演奏者の持つ
持ち味が加わって模倣100%ではないけど、「目立つ」演奏にはならない
よね。

では、巨匠になるためには、と言えば、この「オーソドックスな型」を
打ち破るしか手がない。「奇抜な演奏」の方が目立つし、評論家の受け
もいいだろうし。

しかし、個人としてべトの恩恵を味わう私としては、別に巨匠でなくても
よく、「ベストミックス」の方がむしろ本当の意味でよい演奏なのかも
しれない、と考えてみたりする。