>>931
長い話になるけどつき合ってね。
まず、ベームという可能性は無かった。指環全曲録音最初の「ラインの黄金」
制作当時(1958年)のベームはウィーン国立歌劇場を追い出された直後だった
こともあるが、だいたいDECCAはベームに対して高い評価をしていなかった。
ウィーン・フィル初のベートーヴェン交響曲全集の指揮者に、ウィーン・
フィルとは疎遠なシュミット・イッセルシュテットを採用した理由として、
アメリカではベームの指揮ではセールスを期待できないと答えたそうな。
当時のウィーン国立歌劇場の監督はカラヤンで、今にして思えばカラヤンで
なかったことは不思議だけれども、やはり1958年ということを考えれば、
このときのカラヤンはEMIの看板アーチストで、DECCAとしても使えなかった
のではないだろうか? もし、このプロジェクトが1960年にスタートして
いれば、カラヤンだった可能性も十分考えられるのだが。
このDECCAの「指環」指揮者人選には二つの要素が絡んでいる。そもそも
DECCAは最初から指環全曲録音を企画していたわけではないということと、
DECCAはワーグナーのオペラ録音の指揮者としてはまずクナッパーツブッシュを
使いたかったってこと。たまたま「ラインの黄金」が大ヒットしたことと、
クナッパーツブッシュの録音に対する姿勢が、DECCA製作陣(カルショウたち)
の期待するような精密な制作物を完成させる熱意に適わなかったことで、
トリスタン録音をクナから次善の選択としてショルティに変更し、一連の制作
過程でのショルティの姿勢をDECCAが高く評価し、指環残りの3作もショルティ
で行くと決断したのだと思う。
長文投稿スマソ!