>>503
ワグナーの作品は、キリスト教の伝統的な価値観の喪失を、
どういう風に補完していくための、いろんな形の問題提起
になっていると見ることも出来る。タンホイザーの場合も、
>>503さんのおっしゃるような「ヴェヌスベルク山」的な価
値観を世界に問うているわけです。しかし、ワーグナーの
場合には、それをもろにやるのではなく、伝統的なキリス
ト教的価値観もきちんと描いている。それには、いろんな
理由はあったろうけど、基本的には両方を並べるという姿
勢は最後まで維持した。最後のパルシファルを見てもわか
るように、ワーグナーは、異教徒による聖騎士たちの信仰
の危機を非常に厳しい目で描いているし……そういう、神
話とかから、旧世界の価値観と対立するものを意図的に選
んできて、キリスト教的な価値観との葛藤を描き出し、人
類のこれからの神なき時代の人間の生きる指針を探った、
そういうやり方がワーグナーが現代でも、あるいは未来で
も生き残っていきそうな原動力になっているとおもいます。
だから、『どうでしょうか????? 』と『?』をたくさ
んつけて聴かれても、『そのとおりかもね』としか答えよ
うがないんです。実際に、ワーグナーは、革命に参加して、
何十年も亡命生活を続けたわけだし、マルクス(一八一八〜
一八八三)とワーグナー(一八一三〜一八八三)は、同じ
時代を生きてきたわけだし、ある意味筋金入りの革命家だ
ったかも思ってます。

混乱した文章ですけど、おゆるしを!