フルベンについて言うなら、個人の持つ芸風によって
(パルシファルのように)ウェーバーとハンス・ホッ
ターみたいな差が生じるのないようにしているようだ。
それは、53年のローマの録音でローゲーとジークムント
のを歌うヴィットガッセンがを見れば分かりやすい。
この録音で、ヴィットガッセンは自分流ではなく優等生的
にきっちりと歌わされている。ああいう風に、きっちり
とヴィットガッセンが歌うなんて普通は考えられない。本
当に、別人が歌っているようだ。
そういうように、フルベンは、歌い流しとか、ノリとかを
嫌っている。こういう例はいくらでも、挙げることはできる。
また、フルベンは、自分の支持に対して柔軟に対応できる
メードルとか、逆らわないズートハウスを使って、徹底し
てノリを排除し、ワーグナーの意図を正確にあぶりだす。
挙句に、決め文句。<彼>とはもちろんワーグナーである。
「<彼>も今日僕に満足してくれたろうと思うなあ」
これは、普通フルベンに対して人が抱くイメージとは矛盾
するようにみえる。
しかし、歌手に対しては、スタンドプレーは許さずとも、
自分の楽曲解釈については、自分の大目的を実現するため
やりたいようにやる。