「ベルリンフィルのレコードが売れるのではなく、私の指揮したレコードが
 求められているのだ。
 私の指揮した映像にオーケストラの団員のパーソナリティなど必要ない。」
こんなセリフを吐けるのは後にも先にもカラヤン一人だろう。
もっともカラヤン自身がこうした映像の不自然さに気付き、方針転向しているが。
しかし、最後の来日の時でさえ、テレビ放送において
「曲のクライマックスでは自分が絶対中心に編集されていなければならない」
と注文をつけたほどだから(ザ・シンフォニーホールでのローマの松)、
最後の最後までオケより自分という自意識は誰よりも強かったと思われる。