>>481
たしかに。そもそも「作曲者の意図」というのがすでに精妙なフィクションで
あるわけだし、そんなもの知ったことか、鳴ってる音楽をどう使おうと使うほう
の勝手次第じゃ、という考え方も自然に成り立つだろう。
しかし少なくともクラシック音楽(西洋近代の芸術音楽)は、そういう立場を
とらない音楽、度量が狭いといえば狭い音楽であったことはたしかだと思う。
例えばサティとかケージとかは、まさに>>481のような観点から、新しい音楽
のあり方を提案しようとしたものの、結局のところは「サティの作品」「ケージ
の作品」として、従来のクラシック音楽の枠組みに組み込まれてしまった
ように見える。
そうした西洋音楽の立場で楽譜とは、それなしではキリスト教徒しか理解
できないかもしれない音楽を、人類普遍に理解できるようにするための
ツールという性質を負っているんだと思う。