ザンデルリンクの伝記に、この人についての面白い記述があった。

・レニングラードフィル就任当初は2つしか交響曲のレパートリーがなかった(それまではバレエ指揮者)
そのため楽団員から信頼されず。いつでも楽員を前線に送り出せるという恐怖統治状態を元に権力基盤を築いた
・ザンデルリンクのことを、教養ある話の出来る数少ない人として重要視。しかしだんだんライバル視するようになる。
・反ユダヤ主義者
・体制を毛嫌いするも、カラヤン・フルベン以上の上昇・権力志向。権力を保持するのみならず、それを行使するのが死ぬまで大好きだった。
・大の仕事嫌い。夏は4ヶ月ほど休暇を取って、山に篭ってバードウォッチングに明け暮れた
・ブルックナーの導入にことのほか積極的だった

・「彼より優れた指揮者・音楽家ならいくらでも知ってる。彼はレパートリーが狭く、新しい領域の開拓に消極的だった。特に彼はウィーン古典派がダメだった。
   他方、彼は他に例を見ないオケ育成者であり、また「あの」色合いの響きをオケから引き出せるという点で比類なき「楽譜の演出家」だった。」
・「今度裸身がマラ7をソ連初演した際のリハで、どうやってもうまく行かなかった箇所が、ムラがホールに入ったとたんすんなり行くようになった。
   ここまではよくある話だが、翌年今度裸身が同曲を再演した際のリハでも、その箇所になったとたん(今度はムラの降臨なく)同じ部分のみ何の問題もなく出来た。彼の存在感はそれだけ悪魔的なものがあった」

うろ覚えすまぬ。