>>380-381
まったく同感です。

>>339氏の見解について一言。
>これは意識構造の違いから説明できると思うわけ。

実際にでてくる表現を「東洋」「西洋」の(深層)意識とやらに還元して、
そこから出てくる表現が、そうした深層意識に規定されているとする見解が
論理的におかしいのは、
仮に精神活動がそうした深層意識に捕らえがたく決定されているとしたら
なぜ、>>339氏は、いとも簡単にそうした決定性を抜け出ているかのように
その両者の文化の差異を演奏に読み取ることができるのか、
まったく違う文化だと自分が観察している対象については記述している
「西洋的構築性」とやらを本人は感じることができるのか? ということです。

これは、例えば「東洋」に、理解しがたい他者を見出して、憧憬の対象としていた
ロマン主義以降のヨーロッパ文明圏の著者たちが、なぜ見事に理解しがたいとしている
他者を記述しているのか? というのと同じ問題です。
(もちろん、それは、そうした他者像自体、彼らが構築して他人に投影している像に
他ならないからです)