西洋にも多神教の伝統があったり東洋にその逆があるというのは事実として、人々の意識のなかでどちらが優勢であるか、が問題なのでしょう。
「自然との関係の在り方」がむしろ大きな違いを生む要素であろうし、私が述べた「主体と客体の関係」についても、そこから説明できると思う。

カザルスとヨーヨー・マの違いは世代の違いだけで説明がつかないでしょう。
異なる意識を持つ人がそれぞれ表現した音楽だと思う。
稚拙な表現になるのは覚悟で述べると、西洋人が演奏する曲を聴くと「音の構造物」とでもいいたくなるようなものが映像として浮かんでくると。
それは西洋人が音を自らの意識から分離した対象物として呈示するからだと思う。
東洋人のそれは、自他が不可分なものとして映ってくる。というか、むしろ演奏者や作曲家をとりまく自然の映像が浮かぶ。
これは意識構造の違いから説明できると思うわけ。