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> ワルターはアルマへの手紙中でマーラーの交響曲全曲録音の意志を伝えてい
> るから、いずれは第6をも指揮しようと想っていたのでは。

ライディングの伝記によれば、戦後のワルターはマーラーの交響曲全曲を録音
してほしいという提案を、少なくとも2回受けたようです。1度目は1953年の
11月で、ウィーン交響楽団と全集を集中的に録音してほしいという提案でした
が、そのような録音計画は彼の体力や年齢にとって大きな圧力であること、そ
してスケジュールの点でも、そのように長期間ウィーンに留まって録音の仕事
をする猶予がないことを理由に結局断りました。2度目は1954年の秋で、今度
は米コロムビアからニューヨークフィルとともに、交響曲全曲を録音してほし
いという提案でしたが、これに対してワルターは断るでもなく、また全面承諾
するでもないまま、1955年1月の第1番、1957年2月の第2番と徐々に録音を重
ねますが、結局はその直後の心臓発作による演奏活動の休止と、休養後に開始
されたステレオ録音による主要レパートリーの再録音の影に隠れて、この計画
は進展しないままで終わってしまいました。

> バーンスタインは奔放なアルマはワルターとも肉体関係にあったなんて発言
> していたが、本当か?

ニューヨークフィルの常任となって間もない1960年頃のバーンスタインは、す
でに自他ともに認めるマーラー演奏のオーソリティとして名を成しつつあり、
マーラーの楽曲解釈についても、ワルターとは異なる独自の見識を築き上げて
かつての恩師と意見対立するまでになっていました。ですから自分のマーラー
に関する理解という点で、ワルターとの差別化をはかるために、何やら刺激的
でスキャンダラスな話題を振り撒いてみたいということは当然あったでしょう。
では、ワルターとアルマが関係していたとするバーンスタインの話の出所は何
処かというと、おそらく1945年の12月(同年3月にワルターの夫人が亡くなり、
8月にはアルマの3番目の夫が亡くなっていた)にアメリカの芸能界で突如と
して広まった、ワルターとアルマが結婚するらしいという噂に、さらに尾ひれ
が付いたものではないでしょうか。あくまで推測ですが。