たとえば、小林秀雄のモーツアルトが1946年に発表されたとき
吉田秀和自身衝撃を受けたことをどこかで書いていた。
現在では?マークつきの小林のモーツアルト理解の水準ですら、
当時の日本の音楽批評にそれなりの影響を与えることが可能だったくらい
日本の音楽批評だとか受容の水準は低かったんだよ。

高橋ユウジや浅田彰が指摘した小林の貧しさをここで改めて繰り返すこともないけど
吉田秀和の実践した啓蒙の後、(高橋ユウジはそれを好意的に評価していたな)
果たして、誰がその水準を受け継いで豊かさを実現したかといえば
誰もいないんだよね。
宇野や許なぞ、あきらかに貧しさの方へ後退してるとしか思えない。

>>216の書くように、
日本におけるクラシック受容の貧しさは
決して私たちの問題ではないと言うことはできないよ。
豊かさをその頂点の部分で引き受ける人間がいないという
致命的な現状が、我々の前に横たわってるわけだ。
浅田彰が本格的にやるかといえば
やらんだろうしね。