旧制高校的な教養を権威として考えている読者層によって
吉田の評論は読まれていたはずだ。一方、宇野の評論はそ
ういった価値観からはぐれた読者に理解しやすい音楽観を
提供したのではないのか?いずれにしても、旧制高校的な
教養至上主義が崩壊したあたりからいずれのタイプの評論
も対応しきれなくなってきたのではないだろうか?