新日フィル第241回定期演奏会 1996年7月4日/5日
(曲目前半はクルタークとクセナキス、後半がベルリオーズ「幻想交響曲」)


PROGRAMM NOTES/吉松隆

ヨーロッパで現代音楽を学んできたという若い人がこういうのを聞いて、背筋
が寒くなったことがある。
 「音楽には〈芸術音楽〉と〈娯楽音楽〉がある。だから、〈芸術〉は娯楽では
なく、〈娯楽〉は芸術ではないんです」
 この言葉を聞いた時、未だに「自己防衛と抑止力のために原水爆実験は必要な
のです」と言い張っている某国政府の言い草を聞いた時のように、あるいは「ユ
ダヤ人は人間ではないのです」と言い放つヒトラー・ユーゲントでも見た時のよ
うに、力が全身から抜けて行くのが分かった。
 確かに、この思考のおかげでベートーヴェン以降のヨーロッパ音楽は世界を駆
逐した。しかし、この思考のおかげでヨーロッパの音楽は一時死にかけた。これ
は、今世紀が生んだもっとも「間違った思考」のひとつとして封印されるべき愚
考だ。私はそう思う。
 これだけは忘れないで欲しい。「音楽」は「娯楽」だからこそ「芸術」たりえ
るのだ。
 とは言え、人間とは愚かなもので、それが「新しく正しいものだ」と信じると
、数十万人が生活している都市に原爆を落としたり、ひとつの人種を大量虐殺し
たり、地下鉄に毒ガスをまいたりできる。知性がそれを食い止めることが出来る
などという期待は、神に慈悲を乞えば叶うというのと同じくらいの精度でしかな
いのも現実だ。