> 《クセナキスの公理主義についての考察》

> クセナキスのセリエリスムからの離脱の契機は、「線的多声法」は、
> その線の多さのために聞こえない要素を沢山持ちすぎている、と述
> べられている。今、クセナキスが方法論上単純化のために導入した
> 確率概念は、結果として複雑な音を生み出してしまう「確率論的オ
> ートマトン」を生み出した。我々に耳において聞こえない音が多く
> 生まれ、「点の多さ」のために自滅するという同一結果に陥ってい
> るのである。
クセナキスの音楽性の根幹を理解出来ていないと思われ。
セリー音楽は、その複雑さ故に不毛。なら自分は、複雑なものを複雑
なままに楽しめる音楽を作ろう、というのがクセナキスのコンセプト
だったはずだが。個々の音を把握するのは無理でも、音の集団を統計
的に把握することは可能ってこと。

> ヤニス・クセナキス(1928-2000)
対象の生没年すら正確に把握していないレポートは、俺が採点するな
ら「不可」だ。そんなお粗末なレポートを、HPで不特定多数に向け
て公開するとは・・・。

> 後に述べるように、彼は音楽創造の基礎を「公理論的に構成」して、
> 従来の西洋音楽を包括した新しい理論を展開しようとしている。それ
> は、音列主義を乗り越えようとしているわけであり、ブーレーズの進
> 歩観を更に上回って進歩主義的な試みといえる。同時に、一般の芸術
> 家に理解できない「科学的」知識を導入して、作品をブラックボック
> スにしてしまうのであって、芸術としての良心を(それがあるという
> のなら)欠いていると言わざるを得ない側面がある。
もはや、笑うしかない。

東大の学生にも、ゆとり教育の影響は確実にあらわれているわけか・・。