1の作品に一区切りがついたところで、批評してみよう。

書き直し、校正ができないなど、1には多くのハンディがあった。
しかし、これだけの作品を、異常なまでのスピードで書いた能力は凄い。
はじめに書いた事をあとで、否定できないので、結末を決めてから
逆算するように、作品を書くことができない。
にもかかわらず、読者をひきつける力は第一級であろう。
それはまるで、「自然とペンが進む」と言った三島由紀夫のようである。

長々とつづいて、しばしば訪れる時間的中断が、読者にある種の感情を
抱かせ、それ自体が周到に計算された作品の一部であるという意味では、
その技巧は、埴谷雄高の死霊が書かれた長い年月と重なる部分がある。

ネット媒体を使った制約を引き受けて、チャンレジンした精神は、
私小説的な日本の文壇にありながら、それを否定した安部公房を思わせる。

結論:創作上の制約を考えれば、合格。いや、見事というほかあるまい。