>>177
前にも誰かがレスしていたが、好んでマズアを聴く人間はその演奏の中に
「官能的な魅惑やファナティックな劇性」を求めてはいないのではないか、
と想像してみることをお勧めする。
マズアは例えばケーゲルのごときカリスマではない。
(前に「ハイティンクは退屈か」というスレがあったが、
そこで語られていたことと似ていなくもない。)

しかし、カリスマでないことを凡庸と誹るだけならばまだしも、
それを「狡猾」と呼ばれてしまうのは、やはりマズアの辿ってきた政治との関わりがあるからだろう。
ハイティンクとかマリナーであればそのように擬せられることはないからである。
ことほどさように演奏と演奏者のプロフィールや思想的背景を密接に関連づけて
音楽を聴こうとするのは弊害が大きいのではないか、と思わざるをえない。