50,51,53が問題にしているのは聴衆に訴えるかどうかというよりも
解釈の正統性みたいなものでは?自由な解釈を拒否したくはない
けれど、例えばベートーヴェンをロック調に演奏されてそれが面白い
解釈だったとしても、「これが真のベートーヴェンだ」と言われたら
たぶん説得力ないでしょう。