解釈の幅は確実に狭まるのでは?
スラーがあったらスラーをつけなきゃいけませんよね。
「ここはつけないほうがいい」と思ってもつけなきゃ原典版にならないし。
まぁ、そういう事なら原典版でも改訂版でも同様ですが。
主義・主張を持ち出すとそうなります。この場合スラーつけても原典版演奏
って言えるんでしょうか?言えませんよね?
原典版に迫っても作曲家に迫る事には必ずしもなりません。
他人の「自筆譜を変えた」演奏を聴いて「やっぱりこう書けばよかった!」
って事もありえますよね。その場合、それが「新の自筆譜」ってなるのでは。
つまり「必ずしもあてにあらない」って事です。それを承知で研究の為に演奏し
てみるなら勉強にはなりましょう。が、自由な精神の末に獲得された「芸術演奏」
になるには難しいのでは?これって、「芸術」とか「自由」とか、言葉一つ一つの解釈、定義の問題になりますかね?