今日、チェリのDVDでドビュッシーのイベリアを視聴した。
全ての音形に有機的な表情と意味が与えられ、スコアを見るだけでは到底窺い知れぬ
世界が開示されていた。
ただ頭を垂れ、聴き入る他無かった。
このような真に偉大な演奏に関して、楽譜が読める云々の議論は何らかの意味を持つ
だろうか。
この演奏を、スコアと照らしつつ、どこをどのように演奏しているか分析したところで、
何も理解したことにはならない。
音楽とはそもそも形而上の存在であり、楽譜は、そこに至る足掛かりの1つにすぎない。
凡夫の身とあっては、せめて楽譜など形而下の部分はおさえておきたいが、結局は、
全てはその先に於いて行われるのだ。