社会背景云々については、俺はあくまで自分の個人的「聴き方」を述べてみたに過ぎず、
それが「正解」だとは露ほども考えていません。個人の自由な聴き方でいいのでは。
確かに上で皆さんが仰るように、それをあたかも強迫観念の如く意識しだすと、結局
「猟奇的演奏」などに代表される言辞と同次元になってしまう。

それを踏まえて、上記のレスによるとケーゲルが「第九」4楽章を嫌っていたそうですが、
これについて自分なりの意見を書きます。

70年代、80年代の東独は経済的に行き詰まりを見せ始め、西独との経済格差は決定的
になった。政府がそれを隠し通す事は不可能だった。何故なら東独市民は情報統制にもか
かわらず、ラジオ・テレビで西側の番組を受信できた為。
確か80年代に入り、東独政府は国民の不満をそらそうと、「ドイツ文化の継承者」とし
ての、西独に対する優位性を宣伝し始めた。これは今までの政策とは矛盾する面もあった
のだが。
このような意図から、ベートーヴェンの「第九」(とりわけ合唱の入る4楽章)は友好諸
国との連帯の意味も込められるなど、政治宣伝の格好の材料とされた。従って、ケーゲル
は東独政府のプロパガンダに結果的に協力する破目になるのを回避しようとしたのではな
いだろうか。
ちなみにコンヴィチュニ−のべト「合唱幻想曲」はDDRの詩人、べッヒャ−の歌詞に変えら
れていたと思う。エテルナから出ていた「ベートーヴェン大全集」も政治宣伝的な側面もあ
るが、逆にベートーヴェンの正統的な表現者たらんという意気込みが感じられるように思う。
まあ、これは半分想像ですが。