そもそも楽譜というもの自体がいかに工夫を凝らしてもその作品の全てを伝えうる
ものにはなり得ないという大前提がある。だからその楽譜を仮に完璧に忠実に再現しても
その作品そのもの、すなわち「唯一絶対の客観的演奏」にはならない。もともと不完全なものを完全に
再現してもそれは作品の全てをあらわしてはいないのである。又、忠実である必要もないのではないか?
作曲家にとって作品は子供に例えられようが、では親は子の全てを把握しているなどといえようか?
また全てを把握する必要などあろうか?最低限、社会の迷惑にならぬよう、その生き様などを
知っておくのは大切だろう。しかしお互いに独立した存在なのだ。親父はこう思う、息子はこう思う、
それは健全な主張だと思う。大切なのは素晴らしい音楽を創造すること。これが最優先事項だろう。
音楽は人の精神に訴えかけるもの、したがって日々「動く」ものだ。楽譜という固定されたものはいわば
メモ書きにすぎない。メモを正確に解読するのが大切なのか、細部は少々あいまいでもメモのいわんとする
、伝えんとする中身を掴むのが大切なのか。述べる必要も無かろう。
今、天国でベートーヴェンが自身のスコアの指示どおりの演奏をしていると思いますか?
一億パーセントありえません。その姿勢こそ真の芸術家です。愛と自由の使徒です。
あなたはなぜマシーンになろうとするのか?別に各自の自由ですからかまいませんが
では、何のための音楽なのでしょうか?音楽の存在意義を見直して欲しい。多くの方に
対して私はそう願います。